他人と比べやすい時代の中で、猫のように生きてみたい。
猫のように
マイペースに
私は私、あなたはあなた
でも、甘えん坊な一面も
そんな猫のような生き方をしてみたい。
【気づけば誰かと比べてる】
今って、気づいたら誰かと自分を比べてしまう時代やと思うんです。
SNSを開けば、誰かのキラキラした写真が目に飛び込んできて、「みんな楽しんでていいなー」「私なんでこんなにパッとせーへん毎日なんやろ」って勝手に落ち込んでしまうこともあったりしませんか?
自分もそれなりに頑張ってるんやけど、人に見せるほどではないし、インスタ映えするわけでもないしなーと。
「SNSがなかった時代ってどんなんやったっけ?」と、ふと思うことがあります。
友だちの近況とかは直接メールしたり電話したり会ったりして知るもんやったし、どこの誰か知らん人の近況なんて知る術もなかった。
LINEとかない時代があったなんて、もう今となっては信じられないですよね。
SNSがなければ、アメリカで住んでる私は日本の誰とも頻繁に連絡なんて取れないし、一体どんな生活になっていたんだろうと思います。
SNSがあるから遠く離れて暮らしている友達とも気軽に連絡が取れるし、いろんな人にも出会えるようになった。
すごく便利になったんやけど、それと同時に「他人と比較してしまう」という弊害も生まれた気がするんです。
【他人と比べないって正直難しい】
他人と比べると不幸になるだけ。
これは、たいていの人がどこかで聞いたことのある言葉やと思うし、頭では分かってると思うんです。
「自分は自分、だから人と比べないぞ!」と思っても、やっぱりまた人と比べて落ち込んでしまう。
そして「なんで私は人と比べることをやめれないんだろう」と更に落ち込んでしまう。
これだと負のスパイラルに沼ってしまうだけです。
しかも、これだけ他人のキラキラした生活を垣間見ることが出来る時代で、比較するのをやめるというのは至難の業かもしれない。
そこで提案したいことは、「落ち込むためのエネルギーを別の方向に使う」ということです。
【人との比較で見えてくる気持ち】
他人と比較して落ちこむというのは、裏を返せば「自分もこんな風に生きてみたい」とか「自分も自分の良さや強みを見つけて活かしていきたい」という気持ちの表れでもあると思うんです。
だから落ち込んでもいい。
ただ、落ち込むだけで終わらせるのは勿体ないということ。
落ち込み続けるエネルギーを、自分の良さや強みを見つけるために使う。
これが大事なこと。
人との比較で見えてくる気持ちがある。
「なんであの人のこと羨ましいと思ったんやろ?」
「なんであの投稿見て腹が立った?悲しくなった?悔しくなった?」
そこに自分を変えるヒントが隠されていることがある。
そのヒントをもとに、少しづつ行動を起こしていくと、他人ではなく自分に焦点が当たってくる。
そうなるともうこっちのもんやで。
自分のペースで、自分のリズムで、前に進んでいける。
疲れたら休憩したり、誰かを頼ったり、甘えたり。
遠回りする道だって味がある。
気づけばあなたも猫のように生きているかもしれない。